説教「聖霊は愛である」動画とテキスト(5/22)

2022年5月22日(日)、日本福音ルーテル大岡山教会で信徒説教を

担当しました。説教のタイトルは、「聖霊は神の愛である」。

以下のURLで、説教をご覧いただけます。

 

 

 https://www.youtube.com/watch?v=fPZD2wsBg-A

 

また、説教の原稿テキスト全文を、以下に貼り付けておきます。

ご参考まで。

 

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 日本福音ルーテル大岡山教会説教(2022年5月22日)

 

  聖霊は神の愛である

 

                 橋爪大三郎

 

聖書の日課  ○ヨハネ福音書 14章23~29節

                                                                       使徒言行録  16章9~15節

        ヨハネ黙示録 21章10節、22節~22章5節

 

 復活したイエスは、天に昇りました。入れ替わりに、聖霊が降りてきます。

父と子と聖霊。この三つがひとつだと、キリスト教は信じます。

 父は、天の父。旧約聖書の、ヤハウェでした。これは、わかりやすい。

 子は、イエス・キリスト。神の子で、救い主です。これもまあ、わかりやすい。

 聖霊は、さて、何でしょう。天の父や、イエス・キリストに比べると、つかみ

どころがない。

 今日の日課では、イエスが弟子たちに、やがて聖霊が与えられるからね、と教え

ます。じゃあ聖霊とは何か、一緒に考えてみましょう。

 

 聖霊は、英語だとHoly Spirit。霊の一種、です。

 霊とは、なんでしょう。

 

 日本語で霊と言えば、幽霊です。

 人間が死ぬと、肉体がなくなる。肉体がなくなっても、死んだひとはすっかり

いなくなるわけではなく、ふわふわとさまよっている。肉体なしでも存在するそ

のひと。これが幽霊です。

 人間は死ぬと、肉体と霊が分かれる。ならば、死ぬ前の人間は、肉体と霊が合

わさっている。動物はただの肉体。人間は肉体であるうえに、霊でもあるのです。

 

 これが人間だとすると、神はどうなのか。

 結論から言いましょう。神は、霊そのものです。

 

 まず、天の父の場合。天の父は、創造主です。太陽も月も、地球も、植物や動

物や人間も、すべて造りました。

 神は存在しますが、造られたモノではありません。神は、自分で、存在してい

ます。

 神は、モノを超えた存在である。モノを超えているなら、それは霊です。霊と

考えるしかない。神はそれ自身として、霊的な存在なのです。

 

 天の父は、肉体をもっているのか。創世記を読むと、神はエデンの園を歩き回

り、アダムと話をします。ふつうの人間のようです。でも聖書のほかの箇所には、

神がどんな姿なのか、あまり書いてありません。

 ソロモンは、神殿を建てるとき言いました。神はこの神殿に住むのにふさわし

くない。世界を創造した神が、創造された世界のなかにいるのはおかしい、と考

えていたことがわかります。

 

 つぎに、イエス・キリスト。

 「聖霊によって」「おとめマリアに宿り」「肉体を受けて人とな」ったといい

ます。ならば、それまで肉体はなかったのです。父と同様、天にいて、霊的な存

在だったことがわかります。イエス・キリストは、父から「生まれた」、被造物

ではない、とはそういう意味です。

 

 そのイエス・キリストが、人間としての生涯を送りました。人間なので、肉体

として存在しました。そして、十字架で死にました。死ぬのは、人間だからです。

そして三日目に復活しました。復活するのは、神の子だからです。そして、昇天

します。昇天するのは、神の子だから。そして、やがてもう一度やって来て、人

びとを救うためです。

 

 さて、聖霊。

 聖霊は、霊なので、肉体がありません。モノでもありません。

 イエスが昇天したあと、弟子たちのところに下りて来ました。赤いヘビの舌の

ようなかたちに見えました。人びとを、特別な状態にしました。神の力が働いて

いるのです。

 

 聖霊は、天の父と、子であるイエスの、両方から出ます。聖霊は人びとに、直

接に働きかけます。教会ではそう教えます。でもまだ、雲を掴むようです。

 

 聖霊は、目に見えない。神の考えや言葉を伝える。ならば、電波のようなもの

か。

 神さまが放送局。私たち人間は、ラジオやテレビの受信機、のようなものか。

 アンテナを立てていると、神さまからのメッセージが届きます。でも、受信機

の調子が悪いと、うまく電波が届きません。そんなときはどうするか。横腹をバ

ンバンと叩くと、直ることがあります。そうやって、神さまからのメッセージに

耳をすませなさい。

 

 と考えても、まあよろしい。でも、聖霊は、電波ではありません。

 電波はただの電磁波で、モノです。聖霊は、神のはたらき、いや、神そのもの

です。

 私たち人間は、神を思い、神を信じ、神に祈り、神と交流することができます。

聖霊が注がれているから、これが可能になっています。

 そもそも私たち人間が、ものを考え、精神活動をしたり、神を信じたりできる

のは、聖霊のおかげです。キリスト教では、そう考えます。

 

 さて、ユダヤ教、イスラム教には、聖霊がいません。イエス・キリストもいま

せん。聖霊なしの、一神教です。どうなっているのでしょう。

 一神教なので、創造神がいます。ユダヤ教では、ヤハウェ。イスラム教ではア

ッラー。キリスト教の、天の父と同じものです。

 神は、全知全能です。地上のあらゆる出来事を、知っています。監視カメラな

しで、わかります。奇蹟を起こそうと思っただけで、海の水が左右に分かれます。

この神のパワーは、物理学では説明できません。

 

 イエス・キリストは、神の子です。やはり何でも知っていて、奇蹟も起こしま

す。

 

 イエス・キリストが天に昇ると、入れ代わりに聖霊が降りてきました。なぜ聖

霊が降りてくるのでしょう。全知全能の神がいるだけでは、なぜダメなのでしょ

う。

 それは人びとに、神はあなたと共にいるよ、と伝えるためです。

 

 全知全能の神は、パワフルで恐ろしい存在です。モーセを通して、律法を守る

ように命じました。人びとは守ろうとしましたが、なかなか守れません。守らな

いとダメじゃないか、と注意する律法学者が現れました。律法を守れない、弱い

立場の人びとは生きづらくなってしまいました。

 

 それをみて、イエス・キリストは言います。 人間はみな罪がある。私は、そん

なすべての人びとを、救うために来た。私は十字架で犠牲になる。それは天の父

が、それだけみなさんを愛しているということだ。そして死んで、復活した。こ

の出来事が、福音です。

 

 福音を伝えなさい。イエスの命令です。そこで人びとは、福音を伝えようとし

ました。でも伝言ゲームになります。伝言デームは、ひとからひとに伝わる言葉

なので、あやふやになるのです。

 イエスがまたやって来るその日まで、こんなあやふやなことで大丈夫だろうか。

信仰がふらふらしないだろうか。

 

 そこで与えられるのが、聖霊です。

 聖霊は、霊なので、人びとの精神のなかに、直接に飛び込んできます。弟子た

ちに、飛び込んできました。使徒パウロに働きかけました。信仰をもつ人びとに

も、そうでない人びとにも、つねに働きかけています。

 

 聖霊は、父と子の両方から出ることになっています。「出る」のですから、天

の父ともイエス・キリストとも、別のものです。でもなかみは、天の父、イエス

・キリストと同じものです。

 それがあなたや私のなかに、飛び込んでくる。これは、すばらしいことではな

いでしょうか。

 

 聖霊は、人びとの信仰を支えます。おかげで、福音が正しく伝わります。人び

とが、神の教えを守ることができます。

 

 聖霊は、「慰め主」と言われます。人びとが悩み、悲しみ、苦しむとき、聖霊

が寄り添って、なぐさめてくれる。神があなたを支えてくれる。

 けれども、聖霊のはたらきは、人びとを「慰める」だけではありません。

 

 あなたが元気いっぱいに朝起きて、朝ごはんをおいしくいただく。そのとき、

天の父とイエス・キリストが、あなたと共にいて、喜んでいる。

 あなたか悲しくて涙を流すとき、天の父とイエス・キリストも、あなたと共に

いて、涙を流している。

 あなたが困難にあって、悩み苦しむときに、天の父とイエス・キリストも、あ

なたと共にいて、悩み苦しんでいる。

 「慰め」が必要なときに限らず、いつもあなたや私と共にいて、喜び、悲しみ、

悩み苦しんでくれるのです。

 

 いや、共にいる、という言い方でも、まだ足りないかもしれない。

 自分がここにして、息をしたり、喜んだり悲しんだり、ものを考えたり、人び

とと話し合ったりするのも、聖霊のはたらきのおかげで可能になっています。自

分が生きているのは、聖霊に支えられているからなのです。

 

 だから聖霊は、人びとに届けられる愛そのものです。

 天の父は、最後の審判で人びとを審く、恐ろしい神なのか。いや、そうではな

い。自分の独り子、イエス・キリストを送って、人びとを救おうとした。天の父

は、人びとをそこまで愛しているのです。

 そのイエス・キリストが、天に昇ってみえなくなると、今度は聖霊が降りまし

た。信仰がしっかりしているひとにも、あやふやなひとにも、聖霊は降ります。

キリスト教を信じているひとにも、信じていないひとにも、わけへだてなく、聖

霊は降ります。聖霊を通して、天の父とイエス・キリストは、人類をひとり残ら

ず救おうと手を差しのべています。つまり、聖霊は、神がそれほど人びとを愛し

ていますよ、というメッセージなのです。

 

 そのわりには、聖霊が自分に働いているような気がしないなあ。だいじょうぶ、

やっぱりちゃんと働いています。聖霊が自分に働いていることは、知っていれば

よく、いちいち感じる必要はありません。息をする。喜ぶ。悲しむ。笑う。悩む。

日々の気持ちや考えはすべて、聖霊のはたらきです。私たちは、そのことに感謝

して、日々を生きるのがふさわしいのです。

 

 神の平安が、皆さんとともにあるように。

 

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